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SmoonさんのBlog

ゆーらさんではありませんが、ゆらゆらデータ募集中 2015-05-23 04:43:45

これもEVとは無関係なので、削除あるいは削除要請が出ても仕方がありませんが、地震大国日本人なら誰でも関心を持って欲しい内容なのです。

実は、2015年5月22日は、70年前の戦時中のような危機が日本を襲うか否かの瀬戸際だったのです。

幸い震度5弱程度の地震で済みましたが、前兆となる現象を発見したら、皆様から広くデータを募集しています。

 

「環水平アーク」出現から、10時間後に起きた奄美震度5弱
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ネットでは、首都圏全滅のような巨大地震で、かれこれ1年8ヶ月も前から、話題沸騰中だった2015年運命の5月22日が過ぎました。
被害のない震度5弱程度では、100回起きても何も起きていないに等しいのですが、滅多にない宏観現象が直前に起こるか画像データが残せるか否かが問題でしょう。

5月22日、10時22分前後、静岡、山梨方面から関東方面の東の空に環水平アーク出現。
5月22日、12時前後、太陽の周りに環天頂アーク出現(撮影時間11時17分)
5月22日、22時28分頃 奄美大島近海 M5.1 震度5弱 
気象庁の緊急地震速報のような数秒前の予報では、お話になりませんが、10時間くらい前から前兆があれば警戒する準備が出来ます。
まさか、数日中に大地震が起こるかのような予報では、誰一人として警戒なんてしません。
台風も上陸中の場所が一番危険な地域ではないように、関東と思われた環水平アークの前兆が、奄美震度5弱の結果になったのは、コジツケか?
海外ではお話になりませんが、四川大震災が起こる数時間前に中国で撮影されたような環水平アークは、
最初は甲府の自宅の車のガラスに虹が映っていて、空を見上げたら発見したのです。

■5月22日午前10時23分前後の撮影データのある「彩雲」か「環水平アーク」の写真12枚。(3Dビデオカメラでも撮影済)
http://nansin4.sakura.ne.jp/sblo_files/smoon/image/0-ca89a.jpg
以上の写真から、何十年もの実績から予報データを分析しますが、椋平氏のような達人を誰もが目指しています。

「予知的中」、虹を見た時から3日のうちにどこかで地震がおきる。そのことに気がついた椋平氏はこの不思議な虹の観測をはじめた。
時は流れ、昭和5年11月25日昼過ぎ、天橋立郵便局から京都帝国大学あてに奇跡の電報が送られる。
受取人は帝大教授石野又吉氏、電報の内容は次のようなものであった。
「アスアサ、ヨジ、イヅニテ、ジシンアリ」
その言葉通り、昭和5年11月26日午前4:03、北伊豆大地震が発生、死者の数223名、 震度6という未曾有の震災であった。
http://www.amanohashidate.info/niji.html
★地元の山梨では、クリーニング403という洗濯屋が沢山ありますが、この4時03分に起きた歴史的大予言的中が裏話にあるようです。
http://www.sannichi.co.jp/article/2015/04/10/00044844
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★セーラームーンの魔法の黒ネコではありませんが、自宅の猫がじっと空を見上げていて、車のガラスに虹が映っていたのです。
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これは、その後に出現した太陽の周囲に出現した環天頂アークです。
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以下は、昨夜放映されたハリーポッターの最初の1分のプロローグの場面ですが、猫に化けたは魔法使いが登場する場面です。
私の家の猫に似ていますが、この世は意図的に出来あがっていて、TV番組であろうとネットの一文字であろうと万物がシナリオ通りに動いてきた仮想現実(映画マトリックスの現実の夢)なのです。0000000.jpg
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映画の放映中に、大地震が起こると予想して録画しておきましたが、震度5弱は今年4番目の大地震です。
ガキの頃から知っていましたが、世界人類72億人の誰もが催眠術のような魔法で、体感付き3D映画を見せられているのですが、いちいち説明するのに50年もの歳月がかかりました。
虹伝説

「天と地と海が交わる場所」天橋立。        
その根本
江尻海岸に一人の男の伝説がある   
「虹のおじさん」故 椋平廣吉氏。

彼が17歳の時、対岸の黒崎という岬の上に
虹のきれはしのような雲を見つける。

これが、以後72年にもわたる椋平虹伝説
のはじまりである。


「予知的中」

  虹を見た時から3日のうちにどこかで地震がおきる。

そのことに気がついた椋平氏はこの不思議な虹の観測をはじめた。

時は流れ、昭和5年11月25日昼過ぎ、天橋立郵便局から

京都帝国大学あてに
奇跡の電報が送られる。

受取人は帝大教授石野又吉氏、電報の内容は次のようなものであった。


「アスアサ、ヨジ、イヅニテ、ジシンアリ」

その言 葉通り、昭和5年11月26日午前4:03、北伊豆大地震が発生、

死者の数223名、 震度6という未曾有の震災であった。

彼の予知的中は瞬く間に全国に伝わり、以後数多くの学者・マスコミ等で「椋平虹」論争が

巻き起こる。 その後も関東大震災、丹後震災等、虹で予知しみごと的中。

(関東大震災は電報で東京に送るも受け取り側が火災で焼失、ただ、前日に送った事は間違い無い)



「観測方法」  

驚くべき的中率をほこる「椋平虹」、  その観測方法は実にユニークなものだった。  

まず、黒崎の一番高い山を縦軸に、水平線を横軸にとり、

観測板の上にセルロイドの分度器を固定、そいつに虹の姿を書き込むというものである。

虹の形で震源の方向が、長さで震源までの距離が 色の濃さで地震の規模が、

虹の出ている時間で何時間後に 発生するのかが解かると言うのだ。 

一見稚拙に見えるが 観測点の緯度、経度を測定し、一日3回という

定点観測から統計的に出されたデータによって25%もの 的中率を誇っていた。

 

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